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大阪地方裁判所 昭和60年(わ)121号 判決

主文

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数中三九〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、妻A子と共に大阪市平野区瓜破《番地省略》所在の甲野文化住宅の一室を賃借して居住していたものであるが、日ごろから大酒し、しかも酒癖が悪く人に絡み、暴力を振うことが多かったところ、昭和六〇年一月一日、朝から午後七時ころまでの間に日本酒を一升以上飲んだ後、うたた寝をしている妻を残して自宅を出て、近隣の家に上り込んだりして午後一〇時三〇分ころ帰宅したが、妻A子がいないことに気付いて不機嫌になり、更に近隣の家へ押し掛けて行ったり、自宅の内外でわめいたりして騒いでいたが、翌二日午前一時四〇分ころ、自宅内四畳半の部屋において、正月早々妻がどこかへ行ってしまい、また、近隣の者にも相手にされなかったことから寂しい気持ちになると共に、気分がむしゃくしゃし、更には無性に腹が立ち、その腹いせに、同所に置いてあったこたつの掛け布団に火を付ければ、付近の家具、建具等を経て建物自体に燃え移るかも知れないことを認識しながら、こたつ板の上にあったライターで右布団に点火して火を放ち、同室内の家具、押入れのふすまなどを経て前記建物に燃え移らせ、よって、前記A子外一三名が現に住居に使用している前記文化住宅一棟(木造モルタル塗瓦葺二階建共同住宅、床面積合計約二五七平方メートル)を全焼させてこれを焼燬したものである。

なお、被告人は、右犯行当時飲酒酩酊のため心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)《省略》

(故意及び責任能力について)

一  検察官は、(1)本件犯行は現住建造物放火の確定的故意に基づくものである旨、(2)被告人は、右犯行当時かなり酩酊してはいたが、単純酩酊に過ぎず、完全責任能力を有していた旨、他方、弁護人は、(1)被告人にはこたつ用掛け布団を焼燬する認識はあったが、建物に延焼することの認識は未必的にもなかった旨、(2)右犯行当時被告人は、複雑酩酊あるいは破綻酩酊に陥り、心神耗弱の状態にあった旨それぞれ主張するので、これらの点につき判断する。

二  前掲証拠によれば、本件犯行場所は木造の文化住宅の一戸である被告人方の四畳半の部屋の中であること、被告人が火を付けた布団は同室中央に置かれてあったこたつに掛けられていたこと、同室内には畳の上にじゅうたん及び敷布団が敷かれ、右こたつの上には木製こたつ板が、その北側にはテレビ、小物入れ、整理たんすが、東側には食卓テーブルがそれぞれ置かれてあり、また、南側には押入れがあって、右押入れのふすまとこたつとの間は狭く、そこに座椅子があったこと、被告人は右状況について日ごろからよく知っていたこと、当時被告人方には被告人しかおらず、被告人が右布団に点火した後その場を立ち去れば自然の火勢に任せるほかなかったことが認められ、これに、被告人はこたつの掛け布団に火を付けたこと自体は記憶しており、当時、意識が完全に障害された状態にはなかったと認められることを併せ考慮すると、少なくとも右布団に点火した結果、その付近の家具、建具等を経て建物自体に燃え移るかも知れないことの認識、すなわち、現在建造物放火の未必的故意を有していたものと認めることができる。しかしながら、本件犯行は、前判示のとおり、被告人が酔余一時の感情に駆られて行ったもので、建物自体に燃え移ることを確実なものとして認識していてもなおこれを敢行したであろうという事情は見い出し難い上、被告人の捜査段階における自白も、結局は未必的故意を有していたことを承認するにとどまるものであることに徴すると、検察官主張のように確定的故意まで認めることはできない。

三(一)  本件犯行の前日である一月一日の被告人の飲酒の時間及び量は前判示のとおりであって、時間をかけているとはいえ相当多量であるところ、犯行直前までの被告人の行動、すなわち、同日午後七時三〇分ころから犯行直前までの間、断続的に近隣の家の戸を叩いたり、自宅の内外でわめいたりしていたこと、同日午後一〇時ころには平素さほど親交があったわけではないB方へ上り込み、二回にわたって同人の妻に自己の妻を呼びに行かせていること、更に、同日午後一一時三〇分ころにはC方に押し掛けて行き、「西川きよしの家知らんかこの辺やろ」などと訳の分らないことを言っていることに徴すれば、被告人は、本件犯行当時相当酔いが回っていた状態にあったと認められる。殊に、右C方での件は、状況を誤認したための言動であり、見当識に障害をひき起こすほど高度に酩酊していたことの徴表とも考えられる。

もっとも、右C方から連絡を受け泥酔者として被告人を保護した警察官によれば、その頃には少し酔いもさめた様子であったというが、他方、同じ文化住宅に住む者の供述によれば、被告人は自宅に搬送された一月二日午前零時一〇分以後も騒いでいることが認められるので、酩酊状態は右搬送以降もなお持続していたと認めるのが相当である。

(二)  被告人は、捜査段階から概ね犯行前後の状況について記憶の欠落を訴えているが、その供述内容には虚言であるような節は見受けられず、これによると、被告人は、かなりの範囲にわたって健忘があると認められ、更に、前記の被告人の奇異な行動をも考慮すると、被告人は当時相当程度意識の障害をきたしていたと判断される。

(三)  本件犯行の動機及び態様は前判示のとおりであって、通常であれば火を付ける程の動機とは考え難く、その動機と犯行との間に不均衡がある。被告人は、従前酒に酔って暴力を振うこともあったが、火を付けるという行動に出たことはなく、本件の様な行動は、日頃の被告人の酩酊時のそれと異なっており、いかに立腹していたからといって、その行動はあまりに衝動的かつ短絡的にすぎるものといわなければならない。

(四)  ところで鑑定人齋藤正己の鑑定書及び同人の当公判廷における供述によれば、性格偏狭で社交性に乏しく、やや情緒不安定で潜在的に強い情動性人格偏倚を有する被告人が、相当量の飲酒により複雑酩酊の状態で意識に障害を生じて、無思慮、無分別、衝動的にこたつの掛け布団に火を付けたというのであり、事理の是非を弁別し、それに従って行動する能力を著しく減弱していた旨示唆するが、右鑑定意見は、それ自体において不合理な点はなく、また前記の諸点に照らし、十分肯定できる。

(五)  以上によると、被告人は、本件犯行当時、複雑酩酊の状態にあり、是非善悪を弁別しそれに従って行動する能力が著しく減弱した状態にあったと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一〇八条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三九〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件犯行は、理不尽な動機から、深夜、六世帯が入居している共同住宅を全焼させたものであり、更に、本件建物に隣接して同じ様な文化住宅が三棟建っており、これらに延焼する危険も大きかったもので、被告人の刑責は重いが、他方、本件の故意は未必的なものであり、また、心神耗弱の状態下での犯行であること、本件犯行を悔悟していること等、被告人のため酌むべき事情も認められるので、以上の諸点を勘案して主文掲記の刑を量定した次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青木暢茂 裁判官 齋藤隆 田口直樹)

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